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東京地方裁判所 平成4年(行ウ)140号 判決 1993年2月26日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

第一  原告らの請求の趣旨

一  原告石田自動車工業

被告は、原告有限会社石田自動車工業に対し、金八五五万円及びこれに対する昭和六三年一二月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告石田一二

被告は、原告石田一二に対し、金一五八万九六〇〇円及びこれに対する昭和六三年一二月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、土地又は建物を賃借していたと主張する有限会社及びその代表者個人が、当該土地及び建物の敷地につき被告から仮換地の指定を受けたために明け渡しを余儀なくされたとして、土地区画整理法(以下「法」という。)七八条三項及び一一四条四項により準用される法七三条三項の裁決(土地収用法九四条二項)の手続を経ることなく、土地区画整理事業の施行者である被告に対してその損失補償額の支払を求めた事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  原告有限会社石田自動車工業(以下「原告会社」という。)は、原告石田一二(以下「原告石田」という。)を代表者とする、クレーン車の貸付、鳶、土木工事、ビタミン等の栄養素を補給した栄養補助食品の販売及び日用雑貨の販売等を目的とする有限会社である。

2  被告は、東京都知事の認可を受けて設立された、江戸川区葛西地区内に施行地区(以下「本件施行地区」という。)を有する土地区画整理組合である。

3  原告会社は、昭和五六年一一月一日以降、白樫源蔵から、いずれも本件施行地区内にある同人所有の別紙物件目録記載の一ないし三の各土地のうち一五〇坪(以下「白樫土地」という。)を賃借し、その上に別紙損失一覧表記載の1の車両・機械等を置いて、事業の用に供してきた。白樫は、被告の監事の職にあり、被告の施行する土地区画整理事業に従事していたので、将来において白樫土地について仮換地の指定等があつた場合を慮り、右賃貸借契約において、「移転通告があつた場合には、原告会社は契約期間中でも無条件で白樫土地を明け渡す」旨の特約を付していた。

4  原告石田は、昭和四九年六月一日以降、彦田平造から、同人所有の別紙物件目録記載の四の建物(以下「彦田建物」という。)を賃借し、居宅として使用してきた。彦田もまた、彦田建物の敷地である別紙物件目録記載の五の土地(以下「彦田土地」という。)が本件施行地区内にあることを認識しており、同土地が将来仮換地の指定を受けることを慮つて、右賃貸借契約において、「立ち退きの必要が生じたときは、原告石田は、明渡料等の対価の請求をすることなく直ちに明け渡しに応じる」旨の特約を付していた。

5  被告は、昭和五四年四月ころ、土地区画整理事業の施行者として、白樫土地及び彦田土地につき、それぞれ仮換地の指定をした。

6  昭和六〇年一〇月末日に、白樫土地についての賃貸借期間が満了したが、原告会社は同土地を明け渡さなかつた。そこで、白樫は、昭和五六年一〇月までの白樫土地の賃借人であつた原告石田を相手方として仮処分を申請した(東京地方裁判所昭和六一年(ヨ)第六四八号)ところ、同事件において、昭和六一年三月一三日、同原告が白樫土地を明け渡す旨の和解が成立したが、これを契機として、原告会社は、同年五月三一日ころ、前記の車両、機械等を撤去して、同土地を明け渡した。

7  昭和六一年三月末日に、彦田建物についての賃貸借期間が満了したが、原告石田は同建物を明け渡さなかつた。そこで、彦田は原告石田に対して、右賃貸借契約は旧借家法八条の一時使用目的である旨の主張をして同建物の明渡し訴訟を提起し(東京地方裁判所昭和六二年(ワ)第一二三七八二号)、請求認容の判決を受けたが、その控訴事件(東京高等裁判所昭和六三年(ネ)第五三二号)において、原告石田が同建物を明け渡す旨の和解が成立し、同原告は、これに基づき、同月三〇日ころ、同建物を明け渡した。

8  原告会社は、被告に対し、法七八条一項に基づく損失の補償を求めて、江戸川簡易裁判所に調停の申立て(同裁判所昭和六三年(ノ)第三二号補償金調停事件)をしたが、右調停は、昭和六三年一二月一三日に不調となつた。

9  本件訴訟については、法七八条三項及び一一四条四項により準用される法七三条三項の裁決(土地収用法九四条二項)を経ていない。

二  争点

1  原告会社の主張

(一) 原告会社と被告との損失補償に関する協議(調停)は、前記のとおり不成立となつたが、その原因は、被告において、そもそも、同原告を補償対象者として認めないことにあつた。また、原告会社は、東京都収用委員会との間で、損失補償に関する裁決の申請(法七八条三項、一一四条四項、土地収用法九四条二項)へ向けて事前協議中であるが、同委員会の見解も被告と同様である。このような場合、原告会社において収用委員会に裁決の申請をしても却下されることは明白であるから、無用な手続を踏む意味はなく、裁決を経なくても補償金の支払を求めて出訴できるものと解するのが相当である。

(二) 原告会社は、彦田建物についても賃借人の地位にあり、その一部約一〇坪を、同会社の本店事務所兼応接間として利用してきたところ、原告石田と彦田との間の前記和解を契機として、右部分を明け渡した。原告会社は、白樫土地の明渡しと右彦田建物の明渡しにより、別紙損失一覧表のとおり合計金八五五万円の損失を被つた。したがつて、原告会社は、被告に対し、法七八条一項(仮換地指定に係る従前地における建築物等を施行者が移転若しくは除却し、又は法七七条二項の照会を受けた建築物等の所有者等が自ら建築物等を移転若しくは除却した場合における損失補償)に基づく損失補償請求権を有する。

(三) 白樫土地及び彦田建物については、原告石田において、白樫及び彦田との間で、成立した前記各和解を履行するために、それぞれ原告会社にその使用権を放棄させたものである。すなわち、原告会社の右土地建物の明渡しは、本件仮換地指定と相当因果関係があるから、仮にこれによる原告会社の損失が法七八条一項の損失に該当しないとしても、原告会社は、被告に対し、法一一四条三項(土地区画整理事業の施行により賃借権等を放棄した場合における損失補償)に基づく損失補償請求権を有する。

2  原告石田の主張

(一)被告は、原告石田による彦田建物の明け渡しにより通常生ずべき損失(法七八条一項)の額は金一五八万九六〇〇円と算定していたが、被告は、昭和六〇年夏ころ、同原告に対し、右同額の補償をなす旨の申込みをしたところ、同原告は、昭和六三年一二月一三日、前記調停事件の第二回調停期日において、右申込みを承諾する旨の意思表示をした。したがつて、同日、原告石田と被告との間で、右の損失の補償に関する協議(法七八条三項、一一四条四項、土地収用法九四条一項)が成立した。

(二) 原告石田の代理人弁護士は、前記調停期日において、被告に対し、金一五八万九六〇〇円の補償の支払を求めたところ、被告は、「原告会社が被告に損失補償を請求しない旨の確認書を提出すれば、これを支払う」旨約した。したがつて、同日、原告石田と被告との間で、右の損失の補償に関する協議が成立した。

(三) 原告石田が和解により彦田から受領した金六六万円は、新規賃料との差額補填等の趣旨のものであり、これをもつて換地に伴う建物移転に関する本件の補償請求権に充当することはできない。

3  被告の原告会社の請求に対する主張

(一) 本案前の主張

(1) 法七八条の建築物等の移転又は除却による損失の補償を請求する訴訟を提起するには、損失補償に関する当事者間の協議及び収用委員会の裁決を経なければならず(法七八条三項、七三条二項ないし四項、土地収用法九四条二項)、これらを経ていない本件訴訟は不適法なものとして却下されるべきである。

(2) また、右の裁決は、損失補償の額についても公定力を生ずるので、裁決を経た場合における損失補償額に関する訴訟は、この公定力を排除する抗告訴訟の実質を有する形成訴訟の形態をとるべきである。したがつて、仮に裁決を経たとしても、本件のように単に金銭の給付のみを求める訴えは、法の予定する形式によらないものであつて、この点からも本件訴訟は不適法なものとして却下されるべきである。

(二) 本案の主張

(1) 彦田建物は、原告会社の代表者である原告石田とその家族が居宅として使用していただけであり、原告会社は賃借・使用していない。

(2) 前記のとおり、原告会社は、原告石田と白樫との間で成立した裁判上の和解を契機として白樫土地を明け渡したものであり、また、仮に原告会社が彦田建物を賃借使用していたとしても同様であつて、被告が右土地建物について法七七条一項の規定により建築物等の移転若しくは除却をしたものではなく、同条二項の照会をした事実もない。したがつて、仮に右明渡しにより原告会社が損失を受けたとしても、この損失は法七八条一項の補償の対象とはならない。

(3) 仮に原告会社の損失が法七八条一項又は法一一四条の損失に該当するとしても、原告会社は、前記のとおり、白樫土地の賃貸借契約において、移転通告があつた場合には、原告会社は契約期間中でも無条件で白樫土地を明け渡す旨約し、同土地の明渡しに係る補償請求権をあらかじめ放棄していたものである。

(4) 仮にそうでないとしても、原告会社は、前記和解により白樫から賃料相当損害金七〇万円を免除され、かつ、立退料一三〇万円の支払を受けているから、これにより合計二〇〇万円の損失が填補されている。

4  被告の原告石田の請求に対する主張

(一) 被告は、原告石田の彦田建物の明渡しにより通常生ずべき損失(法七八条一項)を金一五八万九六〇〇円と算定していたが、原告会社との間の前記調停においては、同原告は彦田建物を賃借使用していなかつたので、原告会社の請求には応じられないと回答して、前記調停は不調となつたものであるにすぎず、原告石田主張のような協議が成立したという事実はない。

(二) 仮に原告石田と被告との間で補償請求に係る協議が成立したとしても、同原告は、彦田建物の賃貸借契約において、立ち退きの必要が生じたときは、明渡し料等の対価の請求をすることなく直ちに明け渡しに応じる旨約し、同建物の明渡しに係る補償請求権をあらかじめ放棄していたものである。

(三) 仮にそうでないとしても、原告石田は、前記和解により彦田から六六万円分の賃料を免除されているから、これにより同額分の損失が填補されている。

第三  当裁判所の判断

一  原告会社の請求について

1  法においては、法七八条一項及び一一四条三項の損失の補償については、施行者と損失を受けた者とが協議しなければならず、この協議が成立しない場合においては、施行者又は損失を受けた者は、収用委員会に土地収用法九四条二項の規定による裁決を申請することができる旨定められている(法七八条三項、一一四条四項、七三条二項ないし四項)。そして、収用委員会は、この裁決の申請が土地収用法の規定に違反するときは、裁決をもつて申請を却下しなければならない(同法九四条七項)が、この場合を除くの外は、損失の補償及び補償すべき時期について裁決しなければならない(同条八項)。なお、この裁決について不服がある者は、裁決書の正本の送達を受けた日から六〇日以内に、施行者を被告として、裁判所に対して訴えを提起しなければならない(同条九項、一三三条二項)。

ところで、被告は、土地区画整理事業の施行による損失の補償に関する右の定めを援用し、右の裁決を経ないで提起された原告会社の本件訴訟は、不適法なものであると主張している。

右関係各法の規定の仕組みに照らせば、法は、当事者間の協議が成立しない場合においては、法七八条一項及び一一四条三項に定める補償請求権自体の存否及びその額の確定を、専門性を有する機関である収用委員会の裁決によらしめており、土地区画整理事業の施行により損失を受けた者は、この裁決によつて補償請求権が具体的に確定されることにより初めてこれを取得すると定めているものと解するのが相当である。換言すれば、右の裁決は、損失補償額等を定める行政処分であり、これを経ないうちは補償請求権は実体的に発生しないものというべきである。しかし、法が右のような定め方をしているからといつて、そのことから、それ以上に、法七八条一項及び一一四条三項の補償請求権に関する訴えは土地収用法一三三条に定める訴えの方式のみによるべきであつて、それ以外の本件のようないわゆる実質的当事者訴訟としての給付訴訟を提起することを許さないとのことまで定めたものと解すべき根拠は見い出し難い。

したがつて、原告会社の本件訴訟が、右の裁決を経ることなく提起され、土地収用法一三三条に定める訴えではないからといつて、これが被告の主張するように不適法であると解することはできないというべきである。

2  原告会社は、裁決を申請してもこれが却下されることが明白な場合には、裁決を経なくとも補償金の支払を求めることができる旨主張をする。

しかし、法七八条一項及び一一四条三項の補償請求権が収用委員会の裁決によつて初めて実体的に発生するものであることは前記1で判示したとおりであるから、原告会社はその請求に係る補償請求権を実体的に有していないものというべきであり、本件請求は主張自体失当であるといわざるを得ない。

二  原告石田の請求について

原告石田は、本件の補償について、前記の江戸川簡易裁判所における調停期日における協議の成立を請求原因として主張している。

しかし、前記の調停は原告会社と被告との間のものであつて、この期日において当事者になつていない原告石田と被告との間で同原告に対する補償について協議がなされ、これが成立するとは通常考えられないばかりか、同原告において、かような協議が成立していると主張しているにもかかわらず、これが書面化されていない(このことは、弁論の全趣旨により明らかである。)のも不自然というのほかはない。のみならず、この協議の成立の経緯に関する原告石田の主張も、被告の昭和六〇年夏ころにおける契約の申込みに対する同原告の調停期日における承諾により成立した(前記第二の二の2の(一))というのか、同原告の代理人である弁護士の調停期日における申込みに対する被告の停止条件付承諾の意思表示により成立した(同(二))というのか、二途に分かれて明確性を欠いているのである。

右に説示した原告石田の主張の具体的内容、関係事情及び主張の態様に照らせば、かかる協議が成立したとの事実は、到底これを認めることができないものというべきである。

三  結論

よつて、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないから、棄却すべきこととなる。

(裁判長裁判官 秋山寿延 裁判官 原 啓一郎 裁判官 近田正晴)

《当事者》

原告 有限会社 石田自動車工業

右代表者代表取締役 石田一二 <ほか一名>

原告ら訴訟代理人弁護士 池谷 昇 同 永田泰之

被告 葛西土地区画整理組合

右代表者理事 森 甚悦

右訴訟代理人弁護士 増田浩千

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